月老霊籤 第94番(中)

巧言令色,鮮矣仁。 言葉を飾り、顔色をつくろう者に、誠実な人は少ない。

籤の原文と現代語訳

巧言令色
言葉を飾り、顔色をつくろう者に、

鮮矣仁
誠実な人は少ない。

籤番等級出典
第94番(第九十四籤)中(吉凶半ば)『論語』学而篇
《論語・學而》

典故:原典は何を語っているか

口先がうまく、わざと愛想よく取り入る人に、真心のある人は少ない、という言葉です。「巧言令色、鮮なし仁」として日本でもよく知られています。

この言葉は『論語』学而篇の第三章で、孔子のひとことの評だけが記され、前後の事情はありません。同じ言葉は陽貨(ようか)篇にももう一度出てきて、孔子が一度ならずこう言ったことがわかります。

学而篇の冒頭の数章は、どれも人としての根本、すなわち学ぶこと、孝悌、忠信について語っています。この句は、有子(ゆうし)が孝悌は仁の根本だと述べた章のすぐ後に置かれていて、二つの章を続けて読むと対照の妙があります。仁は真実の感情と行いのなかから育つもので、言葉や表情で装えるものではない、ということです。孔子は公冶長篇で、口先がうまく、満面の笑みを浮かべ、へりくだりすぎるのを自分は恥とする、と言い、子路篇ではさらに、剛毅木訥(ごうきぼくとつ)は仁に近い、と言っています。いくつかの箇所を照らし合わせて読むと、意味はいっそうはっきりします。

これらの言葉は後に、人を見るときの古くからの物差しになりました。月老籤に置かれれば、語っているのはもちろん、恋愛における言葉と行いのことです。

意味

甘い言葉ばかりの人には気をつけて。真心と行動を見ましょう。

ひとこと:言葉を聞くだけでなく、行いも見ること。

これは籤の文句と原典に沿った読み方です。あなたの問いにどう当てはまるかは、籤を引いた廟の解籤の方に尋ねるのがいちばん確かです。

月下老人に籤を願う手順(台湾の廟の場合)

  1. 月下老人(月老)は、城隍廟や媽祖廟(天后宮)などの脇殿に祀られていることが多い神様です。廟の順路に従って、まず主神にお参りしてから月老の前へ進みます。
  2. 月老に名前・生年月日・住所を告げ、いまの恋愛の状況と、尋ねたい一つのことを伝えます(たとえば「この関係は長続きしますか」「いつ相手に出会えますか」)。
  3. 三日月形の木片二つ「ポエ(筊杯)」を投げ、籤を引いてよいか伺います。平らな面と丸い面が一つずつ出る「聖杯(せいはい)」が「はい」の合図です。竹の棒を一本引いたら、もう一度ポエを投げて「この番号でよいか」を確かめます。聖杯が三回続くまで確かめる廟が多く、出なければ引き直します。
  4. 番号の籤紙を受け取ります。月老籤の文句は古典の原文なので、意味はもとの文脈と合わせて読むのが基本です。わからなければ廟の解籤の方に尋ねます。

一度に尋ねるのは一つだけ。問いが具体的なほど、籤の言葉と照らし合わせやすくなります。月老籤は縁結び・恋愛専用の籤なので、ほかのことは廟の一般の籤詩で伺います。

よくある誤解

「下」の籤が出たら、この恋はもう望みがない。

等級は大まかな方向にすぎません。月老籤の多くは心構えややり方を戒めるもので、同じ籤でも尋ねる事柄によって意味が変わります。

よい籤が出るまで、同じことを何度も引き直してよい。

習わしでは一つのことに一度だけ引きます。迷いが残るなら、廟の解籤の方に尋ねるか、しばらく時間をおいてから改めて伺います。

前の籤:第93番/次の籤:第95番

ひとこと正直に:籤は信仰で、現代語訳と解説は本サイトの読み方です

籤の原文は、ネット上に流布する三つの版を比べたうえで、『詩経』・四書・『春秋左氏伝』・『西廂記』などの原典と一句ずつ照らし合わせています。明らかな写し間違いだけを改め、改めた箇所は各ページに流布本の字を示しました。等級は流布本に従い、本サイトが独自に吉凶を判断することはしません。現代語訳・典故の解説・意味・ひとことは本サイトが籤と原典から書いたもので、廟の正式な解籤ではありません。実際の解釈は、籤を引いた廟の解籤の方に尋ねてください。恋愛以外の法律・医療・お金の問題は専門家に相談してください。本サイトの内容は参考・娯楽を目的としたものです。

籤のあとは、二人の命式を

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月老霊籤 第94番のよくある質問

月老霊籤の第94番には何と書かれていますか?

「巧言令色,鮮矣仁。」という文句で、現代語にすると「言葉を飾り、顔色をつくろう者に、誠実な人は少ない。」という意味です。等級は中、出典は『論語』学而篇です。

月老霊籤の第94番はどういう意味ですか?

甘い言葉ばかりの人には気をつけて。真心と行動を見ましょう。ひとこと添えるなら、言葉を聞くだけでなく、行いも見ること。