月老霊籤 第68番(上平)
苟有可觀,皆有可樂,非必怪奇瑋麗者也。 いやしくも見るべきところがあれば、どれにも楽しむべきところがある。珍しく華やかなものである必要はない。
籤の原文と現代語訳
苟有可觀
いやしくも見るべきところがあれば、
皆有可樂
どれにも楽しむべきところがある。
非必怪奇瑋麗者也
珍しく華やかなものである必要はない。
| 籤番 | 等級 | 出典 |
|---|---|---|
| 第68番(第六十八籤) | 上平(よい・穏やか) | 蘇軾「超然台記」 蘇軾〈超然臺記〉 |
校勘:流布本は「茍有可觀。皆有右樂,匪必瑰奇假麗者也」とするが、蘇軾の原文により改めた。
典故:原典は何を語っているか
蘇軾は、どんなものにも見どころがあり、見どころがあれば楽しみがある、珍しく豪華なものでなくてもよい、と書いています。
熙寧(きねい)七年、蘇軾は湖と山の美しい杭州から密州(みっしゅう)の知州に転任しました。密州は何年も不作が続き、盗賊が野にあふれ、訴訟は山積みで、役所の台所さえがらんとしていて、彼はしばしばクコや菊のたぐいで飢えをしのぎました。周りの人は皆、彼が楽しくないだろうと思っていましたが、思いがけず一年暮らしてみると、かえって顔色がよくなり、白髪もしだいに黒くなってきました。
彼は町の北にある古い台に少し手を入れ、よく客と一緒に登って遠くを眺めました。南には馬耳山(ばじさん)や常山(じょうざん)を望み、北には濰水(いすい)を見下ろして、韓信の功業とその最期に思いを馳せました。雨や雪の朝も、風や月の夜も、彼は台の上にいて、畑の野菜を摘み、池の魚を取り、自ら醸した米の酒で客をもてなしました。弟の蘇轍は当時済南にいて、そのことを聞くと賦を書いて唱和し、この台を「超然」と名づけました。蘇軾はそこでこの記を書きます。その書き出しが籤のこの数句で、続いて、人が楽しめないことが多いのは、物の高下や美醜にとらわれているからだ、と述べています。
意味
相手が完璧で抜きん出ている必要はありません。よいところがあれば楽しく過ごせます。足るを知る人が幸せになれます。
ひとこと:相手のよいところをもっと見ましょう。
これは籤の文句と原典に沿った読み方です。あなたの問いにどう当てはまるかは、籤を引いた廟の解籤の方に尋ねるのがいちばん確かです。
月下老人に籤を願う手順(台湾の廟の場合)
- 月下老人(月老)は、城隍廟や媽祖廟(天后宮)などの脇殿に祀られていることが多い神様です。廟の順路に従って、まず主神にお参りしてから月老の前へ進みます。
- 月老に名前・生年月日・住所を告げ、いまの恋愛の状況と、尋ねたい一つのことを伝えます(たとえば「この関係は長続きしますか」「いつ相手に出会えますか」)。
- 三日月形の木片二つ「ポエ(筊杯)」を投げ、籤を引いてよいか伺います。平らな面と丸い面が一つずつ出る「聖杯(せいはい)」が「はい」の合図です。竹の棒を一本引いたら、もう一度ポエを投げて「この番号でよいか」を確かめます。聖杯が三回続くまで確かめる廟が多く、出なければ引き直します。
- 番号の籤紙を受け取ります。月老籤の文句は古典の原文なので、意味はもとの文脈と合わせて読むのが基本です。わからなければ廟の解籤の方に尋ねます。
一度に尋ねるのは一つだけ。問いが具体的なほど、籤の言葉と照らし合わせやすくなります。月老籤は縁結び・恋愛専用の籤なので、ほかのことは廟の一般の籤詩で伺います。
よくある誤解
「下」の籤が出たら、この恋はもう望みがない。
等級は大まかな方向にすぎません。月老籤の多くは心構えややり方を戒めるもので、同じ籤でも尋ねる事柄によって意味が変わります。
よい籤が出るまで、同じことを何度も引き直してよい。
習わしでは一つのことに一度だけ引きます。迷いが残るなら、廟の解籤の方に尋ねるか、しばらく時間をおいてから改めて伺います。
ひとこと正直に:籤は信仰で、現代語訳と解説は本サイトの読み方です
籤の原文は、ネット上に流布する三つの版を比べたうえで、『詩経』・四書・『春秋左氏伝』・『西廂記』などの原典と一句ずつ照らし合わせています。明らかな写し間違いだけを改め、改めた箇所は各ページに流布本の字を示しました。等級は流布本に従い、本サイトが独自に吉凶を判断することはしません。現代語訳・典故の解説・意味・ひとことは本サイトが籤と原典から書いたもので、廟の正式な解籤ではありません。実際の解釈は、籤を引いた廟の解籤の方に尋ねてください。恋愛以外の法律・医療・お金の問題は専門家に相談してください。本サイトの内容は参考・娯楽を目的としたものです。
籤のあとは、二人の命式を
二人の生年月日を入れるだけで、四柱推命の相性鑑定が無料でできます。五行の補い合い、日柱の相性、付き合い方のポイントがわかります。
月老霊籤 第68番のよくある質問
月老霊籤の第68番には何と書かれていますか?
「苟有可觀,皆有可樂,非必怪奇瑋麗者也。」という文句で、現代語にすると「いやしくも見るべきところがあれば、どれにも楽しむべきところがある。珍しく華やかなものである必要はない。」という意味です。等級は上平、出典は蘇軾「超然台記」です。
月老霊籤の第68番はどういう意味ですか?
相手が完璧で抜きん出ている必要はありません。よいところがあれば楽しく過ごせます。足るを知る人が幸せになれます。ひとこと添えるなら、相手のよいところをもっと見ましょう。