余光中の四柱推命:秋の大樹と、一枚の小さな切手

余光中(よ・こうちゅう、1928〜2017)は、台湾を拠点に活躍し、20 世紀の中国語詩でもっとも愛された詩人のひとりです。旧暦九月九日の重陽に生まれました。日本では菊の節句として知られる日ですが、中国では茱萸(しゅゆ、ゴシュユ)を身につける風習があり、彼は自分を「茱萸の子」と呼びました。南京で生まれ、日中戦争中は四川で少年時代を過ごし、1949 年に香港へ、翌年台湾へ渡り、その後は台北・香港・高雄で教えながら書き続けました。代表作は、小さな切手から始まる詩「郷愁」です。出生時刻は公表されておらず、年月日の三柱は戊辰 壬戌 甲午です。晩秋に生まれた甲木で、十二の時辰すべてで身弱、喜神は木・水と判定されます。この命式には覚えやすい特徴が二つあります。月干に偏印が透っていること、そして地支が傷官の火局を組んでいることです。

出生データ:日付だけ、十二時辰すべて同じ判定

項目内容
新暦1928 年 10 月 21 日
旧暦九月九日(重陽)
出生地中国・南京
出生時刻確かな出典なし

時刻がわからないため、当サイトの決まりどおり十二の時辰すべてで命式を出しました。

時辰時柱強さの点数判定喜神
子の刻(23〜1時)甲子0.31身弱木・水
丑の刻(1〜3時)乙丑0.22身弱木・水
寅の刻(3〜5時)丙寅0.20身弱水・木
卯の刻(5〜7時)丁卯0.25身弱水・木
辰の刻(7〜9時)戊辰0.19身弱木・水
巳の刻(9〜11時)己巳0.11身弱水・木
午の刻(11〜13時)庚午0.13身弱水・木
未の刻(13〜15時)辛未0.14身弱水・木
申の刻(15〜17時)壬申0.23身弱木・水
酉の刻(17〜19時)癸酉0.18身弱木・水
戌の刻(19〜21時)甲戌0.18身弱木・水
亥の刻(21〜23時)乙亥0.31身弱木・水

十二時辰の点数はすべて 0.11〜0.31 の範囲に収まり、どれも身弱、喜神はどれも木・水です。以下は年月日の三柱だけで読みます。立運(大運が始まる年齢)は正午生まれとして見積もったもので、実際とは数か月ずれている可能性があります。

三柱:秋の甲木、偏印が透り傷官が局をなす

余光中の命式(当サイトのエンジン、三柱)

1928 年 10 月 21 日・男性・時刻不明

年柱戊辰
月柱壬戌
日柱・日干甲午
  1. 日干は甲木(大樹の木)で、戌月生まれ。葉が落ち始めた晩秋の大樹で、季節の力を得ていません。
  2. 月干に壬水の偏印(へんいん)が透っています。偏印は正統から外れた学問、独自の視点と考え方を表します。
  3. 日支の午火と月支の戌土が火の半会をなします。甲木から見て火は傷官(しょうかん)で、才気・文才・表現を表します。
  4. 年柱の戊辰は偏財で、辰は月支の戌と冲します。財星が強く、これも日干の力を消耗させます。
柱干支天干の通変星蔵干(通変星)
年柱戊辰偏財戊(偏財)・乙(劫財)・癸(印綬)
月柱壬戌偏印戊(偏財)・辛(正官)・丁(傷官)
日柱甲午日干丁(傷官)・己(正財)
0.156日干の強さの点数(三柱)
0.11〜0.31十二時辰の点数の範囲
木・水喜神
火・土・金忌神

当サイトの強弱エンジンでは、0.35 未満は身弱、0.55 を超えると身強です。

甲木は傷官の火に力を抜かれ、財星の土に消耗させられています。そのため喜神は、木を生む水(印星)と、木を助ける木(比劫)で、忌神は火(食傷)・土(財)・金(官殺)です。

伝統的に、傷官は「才子」の通変星で、文才があり、自分の考えをもち、負けず嫌いです。偏印は学者の通変星で、本を好み、独自の目をもちます。偏印が透り、傷官が局をなす命式が、詩人であり、随筆家であり、翻訳家であり、大学教授でもあった人のものだと知ると、つい二度見したくなります。ただし傷官は彼の忌神で、才気が盛んなほど消耗も大きくなります。どれも後からの読みです。

大運:最初の二十年はすべて喜、後の四十年はすべて忌

男性で、年干の戊は陽干なので、大運は順行し、7 歳ごろから始まります。

大運通変星年喜忌この時期の出来事
癸亥印綬1934〜1943喜/喜日中戦争が始まり、母とともに避難して、少年時代を四川で過ごす
甲子比肩1944〜1953喜/喜金陵大学、廈門大学で学ぶ。1949 年に香港へ、1950 年に台湾へ渡り、国立台湾大学の外国語文学系に編入。1952 年に初の詩集を出版
乙丑劫財1954〜1963喜/忌1954 年、覃子豪らと詩の結社「藍星詩社」を創立。アメリカに留学し、台湾に戻って教える
丙寅食神1964〜1973忌/喜詩・散文・翻訳のすべてで旺盛に書く。1972 年に「郷愁」を書く
丁卯傷官1974〜1983忌/喜1974 年から十一年間、香港中文大学で教える
戊辰偏財1984〜1993忌/忌1985 年、台湾南部の高雄に定住し、国立中山大学で教える
己巳正財1994〜2003忌/忌創作と翻訳を続け、多くの文学賞を受ける
庚午偏官2004〜2013忌/忌詩人として台湾と中国大陸の各地で講演や朗読を行う

「喜/忌」は天干・地支の順に、その五行がこの命式にとって喜神・用神(喜)か、忌神(忌)か、どちらでもない(平)かを示します。

この表の形は極端です。はじめの二つの大運癸亥・甲子は天干も地支もすべて喜(水は印星、木は比劫)で、1984 年からは戊辰・己巳・庚午・辛未の四つの大運が続けてすべて忌神です。

ところが彼の人生と照らし合わせると、この二つの時期は予想とほとんど逆になっています。すべて喜の二十年は、日中戦争からの避難、国共内戦、海を渡って台湾へ移るという流転の歳月でした。すべて忌の四十年は、高雄に落ち着き、著作を積み重ね、広く敬意を集めた晩年です。唯一説明がつくのは、印星が学問を表すことで、もっとも混乱した二十年のあいだも彼は学ぶことをやめず、台湾大学を卒業するまで学び続けました。

このずれはそのまま書いておきます。喜の大運が表すのは命式が楽かどうかであって、時代が平和かどうかではありません。忌の大運が表すのは消耗であって、成果がないことではありません。人がどんな時代に生まれ合わせるかは、命式には書かれていません。

1972 年:「郷愁」は流年がすべて喜の年に書かれた

年年柱喜忌出来事
1950庚寅忌/喜香港から台湾へ渡る
1954甲午喜/忌藍星詩社の創立に加わる
1972壬子喜/喜台北で「郷愁」を書く
1974甲寅喜/喜香港中文大学に赴任

1972 年は壬子の年で、天干の壬水は偏印、地支の子水は印綬(正印)、どちらも喜で、しかも彼の命式がいちばん必要とする印星です。この年、彼は台北で「郷愁」を書きました。本人によれば、かかったのはわずか二十分だったそうです。1974 年は甲寅の年で、天干も地支も木、これもすべて喜で、この年に香港へ教えに行きました。印星と比劫がこの命式の喜神で、二つの大きな転機がどちらもすべて喜の流年に重なっています。こうした対応は並べるだけにとどめ、それ以上は広げません。

命式が実際の人生と合わないところ

喜の大運なら平穏な日々が続く。

すべて喜の二十年は、まさに戦乱と流転の二十年でした。喜神が表すのは五行の構造で、時代の混乱は命式には書かれていません。

忌の大運を歩く人は、晩年が不遇になる。

彼は四十年続けて忌の大運を歩きましたが、それは創作と名声がもっとも安定した四十年でした。忌の大運は消耗であって、失敗ではありません。

命式を見れば、時代を代表する詩人になることがわかった。

わかりません。同じ日に生まれた男性は、世界におそらく何万人もいます。戦乱、移住、そしてあの世代の人々が抱えた郷愁こそが彼の詩のいちばんの養分で、どれも命式には書かれていません。

紫微斗数:時刻が不明なので命盤は出せない

紫微斗数では、命宮・身宮・五行局、そしてすべての星の位置が出生時刻で決まります。余光中の出生時刻は公表されていないため、このページでは紫微の命盤を出しません。

西洋占星術のホロスコープ

同じ出生の瞬間を、西洋占星術のホロスコープ(出生図)で出したものです(トロピカル方式、プラシーダス方式のハウス。当サイトのホロスコープ作成と同じエンジン)。ホロスコープは生まれた瞬間の空を使うので真太陽時への換算は不要ですが、アセンダントとハウスを決めるには出生地の緯度が必要です。四柱推命と紫微斗数はどちらも暦から導きますが、ホロスコープは惑星の位置を直接計算します。三つの体系は出発点が違うため、まずホロスコープを単独で示し、そのうえで四柱推命・紫微斗数の読みと重なる点を説明します。

牡羊牡牛双子蟹獅子乙女天秤蠍射手山羊水瓶魚天4°R木6°R火6°冥18°R海0°日27°水4°R金26°土15°月19°
1928-10-21 南京・出生時刻不明・現地の正午で作成、アセンダントとハウスは描いていません
項目内容
太陽天秤座 27°30′(フォール)
月山羊座 19°31′(デトリメント)
アセンダントとハウス出生時刻がないため判断できません
水星蠍座 4°35′、逆行
金星蠍座 26°52′(デトリメント)
火星蟹座 6°11′(フォール)
木星牡牛座 6°24′、逆行
土星射手座 15°42′
十天体のエレメント火 2・地 3・風 1・水 4/活動宮 5・不動宮 3・柔軟宮 2
もっとも緊密なアスペクト火星と木星のセクスタイル(0.2°)・水星と火星のトライン(1.6°)・火星と天王星のスクエア(1.6°)

余光中には確かな出生時刻がありませんが、生まれた日は月が一日じゅう山羊座にあったので、太陽天秤座・月山羊座は確定できます。天秤座の太陽は調和と美を重んじ、音の響きや対句にこだわる彼の詩風に通じます。山羊座の月は控えめで責任感が強く、感情を表に出しません。「郷愁」はとても抑えた筆致で書かれているのに、何世代もの読者の心を動かしてきました。山羊座の月らしい表現のしかたです。水星は蠍座で逆行しており、伝統的には思考が深く、言葉を何度も練り直す人と読まれます。月と冥王星はオポジションで、感情の奥に強い喪失感と執着を抱える配置です。生涯に何度も移り住み、郷愁を書き尽くした詩人に当てはめると、よく合う読みです。

括弧内のドミサイル・エグザルテーション・フォール・デトリメントは、惑星がその星座で力を発揮しやすいかどうかを表す古典的な分類で、吉凶の判定ではありません。三大星座、十天体、アスペクトの読み方はアセンダント、月星座、十天体、アスペクトをご覧ください。後知恵への注意はここでも同じです。結果を知ってからホロスコープを見れば、どの星座にも説明がついてしまいます。

正直なひとこと:有名人の人生から命式を振り返ると、何でも当たって見える

私たちは余光中がその後に何を成し遂げたかをすでに知っているので、命式を振り返ればどの字にも何かしらの説明がついてしまいます。心理学でいう後知恵バイアスです。だからこのページでは、命式と合わないところもあえて並べました。逆の立場で考えてみてください。この命式を名前を伏せて十人の鑑定士に見せても、「この人は時代を代表する詩人になる」と言い当てる人はまずいないでしょう。命式が語れるのは、その人がどんなやり方で物事を成し遂げ、どんな代償を払い、いつ浮き沈みが来るかであって、成功の大きさは測れません。当サイトの内容は参考・娯楽を目的としたものであり、投資の助言ではありません。

あなたの命式に傷官はある?

このページの三柱、強弱の点数、大運は、すべて当サイトのトップページの命式と同じエンジンで出しています。生年月日を入れれば、あなたの印星や傷官が透っているか、日干がそれを背負えるか、どの五行が喜神かがわかります。出生時刻がわからなければ、このページと同じように十二時辰すべてで命式を出してみてください。

出生時刻がわからなくても読める

生年月日を入れて十二時辰すべてで命式を出し、日干の強弱と喜神が時刻によって変わるかどうかを無料で確かめてみましょう。

余光中の命式のよくある質問

余光中はいつ生まれましたか?

1928 年 10 月 21 日、旧暦九月九日の重陽に、中国の南京で生まれました。出生時刻は公表されていません。

余光中の命式は?

年月日の三柱は戊辰 壬戌 甲午です。戌月生まれの甲木を日干とし、月干に偏印の壬水が透り、地支は午と戌が火の半会、辰と戌が冲します。時柱は不明です。

余光中の日干は身強ですか、身弱ですか?

身弱です。十二時辰すべてで命式を出すと点数は 0.11〜0.31 で、どれも身弱、木・水が喜神、火・土・金が忌神です。

「郷愁」は何年に書かれ、その年の流年は?

1972 年、壬子の年です。天干も地支も印星で、彼にとっては喜です。これはひとつの対応であって、四柱推命で創作を予測できるという意味ではありません。

余光中の紫微斗数の命盤は?

紫微斗数の命盤には出生時刻が必要です。余光中の出生時刻は公表されていないため、このページでは出していません。