斉白石の四柱推命:冬の水に浸かった乙木と、一度の「瞞天過海」
斉白石(せい・はくせき、1864〜1957)は、中国近代でもっとも親しまれている水墨画家のひとりです。大工の出身で、27 歳でようやく正式に師について絵を学び、50 代で北京に移ってから画風を一新し(本人の言う「衰年変法」)、60 歳を過ぎてから名を上げました。出生時刻の確かな記録は残っておらず、年月日の三柱は癸亥 甲子 乙丑です。真冬に生まれた乙木で、地支の亥・子・丑が水の方合をそろえています。十二の時辰すべてで命式を出しましたが、判定はどれも同じく身強、喜神は土・火・金でした。この命式でいちばん目を引くのは大運で、六つの大運、まる六十年にわたって天干も地支も喜が続きます。さらに晩年には、占い師の助言を受けて「瞞天過海」というやり方で自分の年齢を変えています。
出生データ:日付だけ、十二時辰すべて同じ判定
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 新暦 | 1864 年 1 月 1 日 |
| 旧暦 | 清の同治二年十一月二十二日 |
| 出生地 | 中国・湖南省 湘潭 |
| 出生時刻 | 確かな出典なし |
新暦の 1 月 1 日はまだ立春(2 月 4 日ごろ)の前なので、四柱推命の年柱は前年の癸亥のままです。時刻がわからないため、当サイトの決まりどおり十二の時辰すべてで命式を出しました。
| 時辰 | 時柱 | 強さの点数 | 判定 | 喜神 |
|---|---|---|---|---|
| 子の刻(23〜1時) | 丙子 | 0.76 | 身強 | 土・火・金 |
| 丑の刻(1〜3時) | 丁丑 | 0.67 | 身強 | 土・火・金 |
| 寅の刻(3〜5時) | 戊寅 | 0.72 | 身強 | 土・火・金 |
| 卯の刻(5〜7時) | 己卯 | 0.78 | 身強 | 土・火・金 |
| 辰の刻(7〜9時) | 庚辰 | 0.72 | 身強 | 土・火・金 |
| 巳の刻(9〜11時) | 辛巳 | 0.63 | 身強 | 土・火・金 |
| 午の刻(11〜13時) | 壬午 | 0.73 | 身強 | 土・火・金 |
| 未の刻(13〜15時) | 癸未 | 0.72 | 身強 | 土・火・金 |
| 申の刻(15〜17時) | 甲申 | 0.74 | 身強 | 土・火・金 |
| 酉の刻(17〜19時) | 乙酉 | 0.70 | 身強 | 土・火・金 |
| 戌の刻(19〜21時) | 丙戌 | 0.64 | 身強 | 土・火・金 |
| 亥の刻(21〜23時) | 丁亥 | 0.78 | 身強 | 土・火・金 |
十二時辰の点数はすべて 0.63〜0.78 の範囲に収まり、どれも身強、どれも土・火・金が喜神です。以下は年月日の三柱だけで読みます。立運(大運が始まる年齢)は正午生まれとして見積もったもので、実際とは数か月ずれている可能性があります。
三柱:真冬の水に浸かった乙木
斉白石の命式(当サイトのエンジン、三柱)
1864 年 1 月 1 日・男性・時刻不明
- 日干は乙木(草花のようなしなやかな木)で、子月生まれ。子は水で、水は木を生みますが、真冬の木は冬眠中の草花で、旬の季節ではありません。
- 地支の亥・子・丑が水の方合(三会)をなし、年干にも癸水が透出しています。乙木から見て水は印星で、この命式は印星があふれるほど多くあります。
- 月干の甲木は劫財(ごうざい)で、年支の亥にも甲木が蔵されています。比劫(比肩・劫財)も少なくありません。
- 命式に火の字はひとつもなく、土は丑土がひとつあるだけで、それも水の方合にのみこまれています。
| 柱 | 干支 | 天干の通変星 | 蔵干(通変星) |
|---|---|---|---|
| 年柱 | 癸亥 | 偏印 | 壬(印綬)・甲(劫財) |
| 月柱 | 甲子 | 劫財 | 癸(偏印) |
| 日柱 | 乙丑 | 日干 | 己(偏財)・癸(偏印)・辛(偏官) |
当サイトの強弱エンジンでは、0.35 未満は身弱、0.55 を超えると身強です。
これは「印星が多すぎる」ことで身強になった命式です。印星は学問・目上の人・庇護を表しますが、多すぎると古典で言う「水多木漂(すいたもくひょう)」、つまり水が多すぎて木が浮き、根を張れなくなります。そのため喜神は水ではなく、水をせき止める土(財)、命式を温めて才能を外に出す火(食傷)、枝を整える金(官殺)です。忌神は、さらに増える水(印星)と木(比劫)です。
調候(ちょうこう)で見ると、真冬の水の方合は冷えきっており、当サイトのエンジンは「命式が寒に偏り、火が足りない。調候として火で温める必要がある」と判定します。乙木から見た火は食傷、つまり表現と創作の星です。何よりも火を必要とする命式が、絵筆で身を立てた人のものだったというのは、覚えやすい対応です。
大運:最初の二十年はすべて忌、その後六十年はすべて喜
男性で、年干の癸は陰干なので、大運は逆行し、9 歳ごろから始まります。
| 大運 | 通変星 | 年 | 喜忌 | この時期の出来事 |
|---|---|---|---|---|
| 癸亥 | 偏印 | 1872〜1881 | 忌/忌 | 貧しい家に育ち、村の私塾に通えたのは半年だけ。牛の番や薪割りをする |
| 壬戌 | 印綬 | 1882〜1891 | 忌/喜 | 大工の修業をし、彫刻を施した木工で生計を立てる。1889 年ごろ胡沁園に師事し、絵を学び始める |
| 辛酉 | 偏官 | 1892〜1901 | 喜/喜 | 肖像画を描いて絵を売る暮らしに転じ、詩と篆刻を学ぶ |
| 庚申 | 正官 | 1902〜1911 | 喜/喜 | 「五出五帰」。西安・北京・広州などへ旅を重ね、視野を広げる |
| 己未 | 偏財 | 1912〜1921 | 喜/喜 | 1917 年、郷里の騒乱を避けて北京へ。陳師曾に勧められ「衰年変法」を始める |
| 戊午 | 正財 | 1922〜1931 | 喜/喜 | 1922 年、陳師曾が作品を日本の展覧会に出品し、すべて売れて一躍名が知られる |
| 丁巳 | 食神 | 1932〜1941 | 喜/喜 | 画価が上がり続ける。1937 年、占い師の言葉に従って「瞞天過海」を行う |
| 丙辰 | 傷官 | 1942〜1951 | 喜/喜 | 日中戦争のあいだは門を閉ざして客に会わず、戦後も名声は高まり続ける |
| 乙卯 | 比肩 | 1952〜1961 | 忌/忌 | 1953 年に「人民芸術家」の称号を受け、1957 年に北京で亡くなる |
「喜/忌」は天干・地支の順に、その五行がこの命式にとって喜神・用神(喜)か、忌神(忌)か、どちらでもない(平)かを示します。
1892 年から 1951 年まで、辛酉・庚申・己未・戊午・丁巳・丙辰の六つの大運は、天干も地支もすべて喜です。金が枝を整え、土が水をせき止め、火が命式を温める。この命式が求めるものが、六十年にわたって入れ替わり訪れました。このシリーズで長い喜の大運を歩いた人にはチャールズ3世やケーリー・グラントもいますが、斉白石の六十年がいちばん長い一続きです。
注意したいのは、この六十年が最初から華やかだったわけではないことです。はじめのいくつかの喜の大運では、彼はまだ肖像画を描き印を彫る田舎の職人でした。本当に名が出たのは 60 歳前後、戊午の大運です。喜の大運が表すのは「命式が楽で、道が順調に進む」ことで、「すぐに有名になる」ことではありません。彼は四十年かけて一歩ずつ歩き、1922 年の東京での展覧会にたどり着きました。
1937 年の「瞞天過海」:占い師は厄を見たが、当サイトのエンジンはすべて喜
斉白石は自伝にこんな出来事を書き残しています。1937 年、長沙の占い師が「今年は七十五という関門を越えるのはよくない」と言い、「瞞天過海(まんてんかかい)」という方法を教えました。兵法の三十六計にある「天を欺いて海を渡る」、つまり相手の目をごまかしてやり過ごす計略の名です。彼はそのとおりにし、運の変わる日に部屋にこもり、出てきてからは自分は七十七歳だと言うようになりました。それ以来、彼が名乗る年齢は実際より二歳多くなり、中国の伝統的な数え年の数え方も加わって、絵に書き入れた年齢は実年齢と四歳近くずれていきます。のちに学者の胡適(こ・てき)が年譜を編んだときも、この点をわざわざ考証しなければなりませんでした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 年 | 1937 年(丁丑) |
| その年の大運 | 丁巳(喜/喜) |
| その年の流年 | 丁丑(喜/喜) |
| 当サイトのエンジンの結論 | 大運も流年も、天干・地支ともすべて喜 |
当サイトのエンジンで見ると、1937 年は丁丑の年です。天干の丁火は食神で命式を温め、地支の丑土は偏財で水をせき止めるので、すべて喜です。大運の丁巳も天干地支ともに喜でした。身強身弱と喜忌だけで見るかぎり、この年に越えるべき「関門」はありませんでした。
あの占い師がどの方法を使ったのかはわかりません。神殺(しんさつ)や流年の冲、あるいは別の流派の断じ方を見ていたのかもしれず、当サイトの結論をそのまま持ち出して彼が間違っていたとは言えません。ただ、この出来事はひとつのことをよく示しています。占いの言葉は人の行動を変えるということです。70 代の大画家が、「七十五は越えられない」という一言で自分の年齢を変えました。当サイトが寿命や災厄について断言しないのは、まさにこのためです。
命式が実際の人生と合わないところ
印星が多い人は勉強ができる。
彼の命式は印星があふれるほど多いのに、私塾に通えたのは半年だけでした。印星が表すのは吸収し、守られる傾向であって、実際に学校へ行けるかどうかは家の経済事情と時代で決まります。
好運が来ればすぐに有名になる。
六十年続けて喜の大運を歩きながら、はじめの四十年は田舎の画工でした。喜の大運は道が順調であることを表し、すぐに成功することを意味しません。
命式を見れば、巨匠の画家になることがわかった。
わかりません。同じ日に生まれた男性は、世界におそらく何万人もいます。時刻が同じでも何千人は残ります。陳師曾の後押し、北京の美術界、東京の展覧会は、どの命式にも書かれていません。
紫微斗数:時刻が不明なので命盤は出せない
紫微斗数では、命宮・身宮・五行局、そしてすべての星の位置が出生時刻で決まります。斉白石の時刻には確かな出典がないため、このページでは紫微の命盤を出しません。四柱推命なら三柱で読み、十二時辰すべてで判定が同じことを確かめられますが、紫微斗数はここで止まるしかありません。
西洋占星術のホロスコープ
同じ出生の瞬間を、西洋占星術のホロスコープ(出生図)で出したものです(トロピカル方式、プラシーダス方式のハウス。当サイトのホロスコープ作成と同じエンジン)。ホロスコープは生まれた瞬間の空を使うので真太陽時への換算は不要ですが、アセンダントとハウスを決めるには出生地の緯度が必要です。四柱推命と紫微斗数はどちらも暦から導きますが、ホロスコープは惑星の位置を直接計算します。三つの体系は出発点が違うため、まずホロスコープを単独で示し、そのうえで四柱推命・紫微斗数の読みと重なる点を説明します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 太陽 | 山羊座 10°04′ |
| 月 | 乙女座または天秤座(誕生日のうちに星座が変わるため、出生時刻がないと確定できません) |
| アセンダントとハウス | 出生時刻がないため判断できません |
| 水星 | 山羊座 26°46′ |
| 金星 | 蠍座 24°39′(デトリメント) |
| 火星 | 射手座 10°43′ |
| 木星 | 蠍座 20°26′ |
| 土星 | 天秤座 17°27′(エグザルテーション) |
| 十天体のエレメント | 火 2・地 4・風 2・水 2/活動宮 4・不動宮 3・柔軟宮 3 |
| もっとも緊密なアスペクト | 太陽と冥王星のトライン(0.4°)・水星と金星のセクスタイル(2.1°)・金星と木星のコンジャンクション(4.2°) |
斉白石は生年月日しかわからないため、アセンダントとハウスは出せません。月も誕生日のうちに乙女座から天秤座へ移っているので、どちらかは決められません。確かなのは太陽が山羊座にあることです。山羊座は典型的な「大器晩成」の星座で、地道な努力、忍耐、長い積み重ねを重んじます。27 歳でようやく正式に師について絵を学び、50 代で画風を一新し(衰年変法)、60 歳を過ぎてから名を上げた彼の歩みは、山羊座の太陽を絵に描いたようです。土星は天秤座でエグザルテーションにあります。土星は時間と修練の星で、それがよく働く配置です。四柱推命では「真冬の乙木が六十年続けて好運を歩いた」と読み、これも「年を取るほど良くなる」ことの別の言い方です。この点では二つの体系の読みが一致しています。
括弧内のドミサイル・エグザルテーション・フォール・デトリメントは、惑星がその星座で力を発揮しやすいかどうかを表す古典的な分類で、吉凶の判定ではありません。三大星座、十天体、アスペクトの読み方はアセンダント、月星座、十天体、アスペクトをご覧ください。後知恵への注意はここでも同じです。結果を知ってからホロスコープを見れば、どの星座にも説明がついてしまいます。
正直なひとこと:有名人の人生から命式を振り返ると、何でも当たって見える
私たちは斉白石がその後に何を成し遂げたかをすでに知っているので、命式を振り返ればどの字にも何かしらの説明がついてしまいます。心理学でいう後知恵バイアスです。だからこのページでは、命式と合わないところもあえて並べました。逆の立場で考えてみてください。この命式を名前を伏せて十人の鑑定士に見せても、「中国画の巨匠になる」と言い当てる人はまずいないでしょう。命式が語れるのは、その人がどんなやり方で物事を成し遂げ、どんな代償を払い、いつ浮き沈みが来るかであって、成功の大きさは測れません。当サイトの内容は参考・娯楽を目的としたものであり、投資の助言ではありません。
あなたの命式は水が多すぎる? それとも火が足りない?
このページの三柱、強弱の点数、大運は、すべて当サイトのトップページの命式と同じエンジンで出しています。生年月日を入れれば、あなたの命式が寒いか暖かいか、印星が多すぎないか、どの五行が喜神かがわかります。出生時刻がわからなくても、このページと同じように十二時辰すべてで命式を出し、判定が変わるかどうかを確かめられます。
出生時刻がわからなくても読める
生年月日を入れて十二時辰すべてで命式を出し、日干の強弱と喜神が時刻によって変わるかどうかを無料で確かめてみましょう。
斉白石の命式のよくある質問
斉白石はいつ生まれましたか?
1864 年 1 月 1 日、旧暦では清の同治二年十一月二十二日で、中国の湖南省湘潭で生まれました。出生時刻の確かな記録はありません。
斉白石の命式は?
年月日の三柱は癸亥 甲子 乙丑です。新暦の 1 月 1 日はまだ立春前なので、年柱は前年の癸亥になります。時柱は不明です。
斉白石の日干は身強ですか、身弱ですか?
身強です。十二時辰すべてで命式を出すと点数は 0.63〜0.78 で、どれも身強、土・火・金が喜神です。印星の水が強すぎ、命式が寒くて火が足りません。
斉白石の「瞞天過海」とは?
1937 年、占い師に「七十五歳を越えるのはよくない」と言われて、それをやり過ごす方法を教わり、それ以来年齢を二歳多く名乗るようになった出来事です。当サイトのエンジンでは、1937 年の大運も流年もすべて喜でした。当サイトは寿命や災厄について断言しません。
斉白石の紫微斗数の命盤は?
紫微斗数の命盤には出生時刻が必要です。斉白石の時刻には確かな出典がないため、このページでは出していません。